晴れのち自転車時々猫

チェリー、スミレ、スパッツ、スージー、それに自転車とかカメラ類と戯れる日々を綴ります。



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コスモス臨時写真展に出展

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Echoes of Light (白木蓮の開花)


3月11日に発生した大震災、原発事故、そして25日が御苗場 in NYの締切りでなかなか更新することが出来ませんでした。今回の地震の発生によって日本は別のベクトルに向かわざるを得なくなったように思います。3・11が境目でもうそれ以前の世界には戻れない、そう感じられます。正直、日々の暮らしの中で放射能の事を心配しながら生活するようになるとは夢にも思いませんでした。でも現実はそうなった訳です。今日の続きがまた明日も続くんだ、と皆思っていたんでしょうが、それにはなんら根拠はなかったのですね。根拠のない前提で暮らしていたとはまぁお目出度いことではありますが、少なくともそうではないことに気が付くことが出来たのは日本にとって不幸中の幸いだったのかも知れないなと思うのです。

痛感するのはライフラインの脆さ、そしてライフラインが崩れた時の人間の無力さです。そんな場合は自衛隊が来てくれるさ、というのは甘い考えでしょう。日本は今までにも凄まじい災害にあって来ましたが、先祖の懸命な努力の結果ここまで来ることが出来ました。今回の震災や原発事故よりも酷い災害を何回も乗り越えてきたのです。思い出されるのは「義農 作兵衛」の話。作兵衛(元禄元年(1688)2月10日生まれ,享保17年9月23日没。45歳)は、江戸時代の伊予国松山藩筒井村(愛媛県松前町)の農民でした。当時の大飢饉のため一家のほとんとは餓死、作兵衛自身も種麦の俵を枕にして餓死してしまいます。(作兵衛の死後、娘も餓死して一家は途絶えた。)枕にしていた種麦を食えばしのげたでしょうが、これを食ったら来年皆餓死してしまうと言って手を付けなかったそうです。目の前に食べ物がありながら餓死とはなんとも恐ろしい死に方ですが、作兵衛にとって自身の生存よりも村人達と子孫達の未来が大切であったのです。一方で現代、原発事故処理で未来を全く考えないどころか、自分達の都合の悪い事実を隠蔽しようとしている人々がいることを知ると情けなくて涙が出てきます。(義農作兵衛の話はググれば色々と出てきます。)

自分としては大したことは出来ないのですが、何かと縁のあるギャラリーコスモスで開催される震災支援の為のコスモス臨時写真展に出展しました。一人1点で125名の方からの作品が集められたそうです。津波だ、原発だ、停電だ、と何かと暗いニュースが多い最近ですが、写真を眺めて気分転換というのも良いことだと思います。有名な作家も出展していますのでもしお時間がありましたら目黒まで足をお運びください。

ギャラリーコスモス4/5~4/10まで JR目黒駅から徒歩10分ほど




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